黒川里山あるき

平成27年11月23日(月)、H2O阪神の第4回見学会、「黒川里山あるき」と題して、川西市の北部、妙見山の麓に広がる黒川地区を訪ねた。黒川公民館のこれからを探る見学会でもある。

12-01この日は、「のせでんアートライン妙見の森2015」が開催されており、最終日にあたっていた。この催しは、ソーシャルアートの芸術祭、能勢電鉄沿線地域で開催されており芸術家の方々が思い思いの感性を表現していた。能勢電鉄妙見口駅を出発し、花折街道沿いのソーシャルアートを楽しむ、竹で組んだ能勢電、体育館に寝そべるこけし、川を跨いでいる鉄で制作した連続した植木鉢、藁で作った将棋の駒、案山子が迎えてくれた。

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吉川八幡神社に参拝、黒川地区の玄関口妙見の森ケーブル黒川駅にて休憩となる。
細い脇道を降ると水口家住宅の長屋門が見えた。この日は、勤労感謝の日で、真新しい国旗を掲揚されていた。突如の訪問にも係わらず、見学を許された。
12-05水口家は主屋、蔵、井戸屋が登録有形文化財に指定され、文化庁データーベースでは、上流製炭農家の様相を今に伝えていると記してある。妙見山を借景に、茅葺の主屋の佇まいが黒川里山の景観を演出している。ただ、主屋の茅葺の腐朽が激しいのと、蔵の土壁の崩落が認められた。「何とかせねば」との思いを胸に水口家住宅を後にして、江戸時代から生産が盛んであった高級黒炭「一庫炭」、黒川地区の最後の窯元に向かう。

黒川地区では、クヌギを原木とする黒炭造りが行われており、最盛期には30件程が生業としていたそうである。茶道で利用されている高級炭を出荷している。断面が菊の花の様子から「菊炭」と言われ、池田の銘菓にもなっている。 黒川の里山を歩いているとクヌギの伐採跡の形が特徴的(台場クヌギ)で、そこここに見受けられた。
12-06炭焼窯を後にして、黒川沿いを歩いていると、目的地である黒川公民館(旧黒川小学校)に到着。敷地は上下2段に造成され、下段に南校舎、上段に北校舎が南向きで平行に配置しており、渡り廊下で結んでいる。

北校舎は、棟札から明治37年の建築で、設計者は専務監督員の佐渡勝次郎と棟梁の目加田藤次郎である。平屋建て、寄棟造、桟瓦葺の東西棟になっており、南正面中央に入母屋造、桟瓦葺の玄関ポーチを突き出させている。外壁は真壁腰下見板張りで、小屋組は教室部がキングポストトラス、室境が和小屋で、軒は化粧野地で垂木の表しになっている。平面の基準寸法は1間=6尺3寸としている。
南校舎は、昭和22年の建築で、平屋造、切妻造平入、桟瓦葺となっている。外壁は大壁腰板張で小屋組みはキングポストトラスになっている。軒は軒天井を張った洋風建築になっている。平面の基準寸法は1間=6尺としている。
これまでの黒川公民館の経過を辿ると、「平成17・18年度 黒川地区整備構想」では、保存改修し活用していく必要性があると位置付られ、「平成19年度 黒川地区まちづくりコンサルタント派遣業務」では、ワークショップを通じて、黒川公民館の活用に関するアイディアが整理された。平成21年度には、兵庫県景観形成重要建造物として指定され、平成23年度には、文化庁「近代和風建築総合調査」でリストアップされた。この年の8月から黒川公民館の修繕及び改修整備に関する調査が行われ、最終的にA案・・・

北棟、南棟の両方を一体として保全・活用する計画案とB案・・・南棟を解体し、北棟だけを保全・活用する計画案が示され、今日に至っている。
(詳細は「ひょうごヘリテージ年報第10集」と「第11集」に松原永季(HM)さんと稲上文子(HM)さんの調査報告が掲載されています。)

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ピザ窯のある公園内での意見交換会では、北棟、南棟及び渡り廊下を一体として保存・活用して欲しいことを参加者全員で採決して妙見口駅に戻り、解散する。
(文責:俵)