ヴォーリズ建築セミナー

平成28年11月26日(土)
◆見学会 午前11:00より
1208-1 晴天に恵まれ、関西学院(上ヶ原キャンパス)の見学会を行う。卒業生の野山恭一さんの案内でモデルコースの「力」コースを基本に説明を受けながら回った。やはり正門から目に飛び込んでくるのは甲山と正門とを繫いだ基軸としたキャンパス計画である。キャンパスのシンボルである時計台(旧図書館)を正面に配し中央芝生の周囲に校舎群が配置されていて、緑豊かな山並みを借景に赤い瓦屋根とクリーム色の外壁のスパニッシュ・ミッション・スタイルはえもいわれぬ心地よさを感じる。
内部の見学は許されなかったが、外壁デザインを食い入る様に観察する。コース取りは学院本館(1929年)→ランバス記念礼拝堂(1959年)→ベーツ館(1929年)(外国人住宅1号館)、西宮市計画道路を北進→ハミル館(1918年、1929年移設)原田の森キャンパスから移設された建物でサッシと木製窓が混在していた。木製窓で残されているものは水切りを錻力で加工していて苦労が伺えた。1208-2
ハミル館を西に進み、E号館の北側を通リ時計台(旧図書館)にたどり着く。大学図書館の東側のイチョウ並木の紅葉がクリーム色の校舎に映え美しい。時計台(旧図書館)は大学博物館になっており、内部見学する。玄関ホールは床がモザイクタイル貼、壁が石貼りで天井は漆喰で飾られ、建設当時の面影を忍んだ。
1208-3時計台(旧図書館)内部は当時の設計図書や原田の森キャンパスと上ヶ原キャンパスの模型が展示され学院唯一の登録有形文化財になっている。ヴォーリズ建築のディティールを鑑賞して時計台前にて記念撮影。中央芝生沿いに経済学部校舎(1929年)→中央講堂を通り旌忠碑(せいちゅうひ)に参拝→商学部校舎(1929年)→大学院1号館前に有る原田の森キャンパスから移築された正門を見学した。原田の森キャンパスにある木造のブランチ・メモリアルチャペルは戦災、震災を乗り越えて神戸文学館として活用されている。

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◆講演会 午後13:30より15:10
会場:西宮市立甲東公民館
第2集会室 参加人数11名
1208-5大手前大学准教授 玉田浩之さんをお迎えして開催。玉田浩之さんはメディア・芸術学部、建築・インテリア専攻に席を置かれ教鞭をとっておられ、専門は近代建築史、モダニズム建築の保存再生の手法について研究されている。本年よりH2O阪神に加入して頂きました。
講演のなかでは、(1)関西学院の建築 と(2)モダニズム建築の保存再生の手法 と題してお話しを伺った。
(1)関西学院の建築
当時、阪神間では交通機関の整備が進んで、宅地、運動・娯楽施設、学校が出来て“明るい健康的なイメージ”が形成され、特に教育施設が阪神間文化圏の形成に貢献したこと。
阪神間の大学キャンパスとしては・甲南高等学校・神戸女学院・神戸女子神学校が創立、移転してきたことの説明があり、関西学院の原田の森から上ヶ原への学校誘致のエピソード、甲東園の開発の経緯を交えお話しいただき、当時果樹園畑にポツンと建っていた芝川又右衛門邸(武田五一設計)が明治村に移築された話を聞く、また、キャンパス計画では、アメリカ合衆国の伝統的形式を継承し、地形的にスタンフォード大学のキャンパスが上ヶ原キャンパスに類似性があるとのことなどキャンパスデザイン、建築デザインについて熱く語られた。ヴォーリズ絡みで岡田山にある神戸女学院のキャンパスの解説も追加して話していただく。
(2)モダニズム建築の保存再生の手法
神戸市塩谷の建造物を対象に近代建築の保存、継承について話していただく。旧グッゲンハイム邸の保存・活用、ジェームズ邸の保存・活用について説明があり、建造物の保存運動が始まってからの保存はことごとく解体の憂き目にあっていることを強調されていた。
保存については、建築基準法第三条1号の適用除外の特例を広く進めて行くことが建造物の保護に繋がって行くことを述べられていた。また、ご自身が京都工芸繊維大学文化遺産教育研究センター特任助教時代に取り組まれた旧鶴巻邸(現:栗原邸)の教育プログラム「建築リソースマネージメントの人材育成」の一環で学生とともに修復作業をされた内容を解説された。(文責:俵 嘉久)

黒川里山あるき

平成27年11月23日(月)、H2O阪神の第4回見学会、「黒川里山あるき」と題して、川西市の北部、妙見山の麓に広がる黒川地区を訪ねた。黒川公民館のこれからを探る見学会でもある。

12-01この日は、「のせでんアートライン妙見の森2015」が開催されており、最終日にあたっていた。この催しは、ソーシャルアートの芸術祭、能勢電鉄沿線地域で開催されており芸術家の方々が思い思いの感性を表現していた。能勢電鉄妙見口駅を出発し、花折街道沿いのソーシャルアートを楽しむ、竹で組んだ能勢電、体育館に寝そべるこけし、川を跨いでいる鉄で制作した連続した植木鉢、藁で作った将棋の駒、案山子が迎えてくれた。

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吉川八幡神社に参拝、黒川地区の玄関口妙見の森ケーブル黒川駅にて休憩となる。
細い脇道を降ると水口家住宅の長屋門が見えた。この日は、勤労感謝の日で、真新しい国旗を掲揚されていた。突如の訪問にも係わらず、見学を許された。
12-05水口家は主屋、蔵、井戸屋が登録有形文化財に指定され、文化庁データーベースでは、上流製炭農家の様相を今に伝えていると記してある。妙見山を借景に、茅葺の主屋の佇まいが黒川里山の景観を演出している。ただ、主屋の茅葺の腐朽が激しいのと、蔵の土壁の崩落が認められた。「何とかせねば」との思いを胸に水口家住宅を後にして、江戸時代から生産が盛んであった高級黒炭「一庫炭」、黒川地区の最後の窯元に向かう。

黒川地区では、クヌギを原木とする黒炭造りが行われており、最盛期には30件程が生業としていたそうである。茶道で利用されている高級炭を出荷している。断面が菊の花の様子から「菊炭」と言われ、池田の銘菓にもなっている。 黒川の里山を歩いているとクヌギの伐採跡の形が特徴的(台場クヌギ)で、そこここに見受けられた。
12-06炭焼窯を後にして、黒川沿いを歩いていると、目的地である黒川公民館(旧黒川小学校)に到着。敷地は上下2段に造成され、下段に南校舎、上段に北校舎が南向きで平行に配置しており、渡り廊下で結んでいる。

北校舎は、棟札から明治37年の建築で、設計者は専務監督員の佐渡勝次郎と棟梁の目加田藤次郎である。平屋建て、寄棟造、桟瓦葺の東西棟になっており、南正面中央に入母屋造、桟瓦葺の玄関ポーチを突き出させている。外壁は真壁腰下見板張りで、小屋組は教室部がキングポストトラス、室境が和小屋で、軒は化粧野地で垂木の表しになっている。平面の基準寸法は1間=6尺3寸としている。
南校舎は、昭和22年の建築で、平屋造、切妻造平入、桟瓦葺となっている。外壁は大壁腰板張で小屋組みはキングポストトラスになっている。軒は軒天井を張った洋風建築になっている。平面の基準寸法は1間=6尺としている。
これまでの黒川公民館の経過を辿ると、「平成17・18年度 黒川地区整備構想」では、保存改修し活用していく必要性があると位置付られ、「平成19年度 黒川地区まちづくりコンサルタント派遣業務」では、ワークショップを通じて、黒川公民館の活用に関するアイディアが整理された。平成21年度には、兵庫県景観形成重要建造物として指定され、平成23年度には、文化庁「近代和風建築総合調査」でリストアップされた。この年の8月から黒川公民館の修繕及び改修整備に関する調査が行われ、最終的にA案・・・

北棟、南棟の両方を一体として保全・活用する計画案とB案・・・南棟を解体し、北棟だけを保全・活用する計画案が示され、今日に至っている。
(詳細は「ひょうごヘリテージ年報第10集」と「第11集」に松原永季(HM)さんと稲上文子(HM)さんの調査報告が掲載されています。)

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ピザ窯のある公園内での意見交換会では、北棟、南棟及び渡り廊下を一体として保存・活用して欲しいことを参加者全員で採決して妙見口駅に戻り、解散する。
(文責:俵)

池田市街歩きの報告

11-01 2015年11月3日、文化の日、前夜の雨も上がり、絶好の街歩きになった。今回は、池田市在住の緒方幸樹さんの案内で総勢8名参加の街歩きになり、北ルートのサカエマチ1番街・2番街の北進からのスタートとなった。

往時の面影が残る商店街は、やはり、シャッター通りで大半の店が閉店していた。一部で旧百貨店のRC建物をシェアハウスとして活用されており、若い世代の感覚を取り入れ活用を図っていた。外部スクラッチタイルと腰部の石張りを観察、建設時の輝きを思い浮かべながら、ほんまち通り商店街に出る。

11-02能勢街道と西国巡礼道の街道交差点にて山麓交易都市として発展してきた池田について説明をうける。コミュニティセンターを北に上り、池田に好景気をもたらした池田郷の酒「呉春」の酒蔵を訪ねる。江戸時代の酒造家数は38を超えるまでに酒造業が盛んであったようだが、現在は呉春株式会社と吉田酒造㈱(緑一)の二軒になった。

11-03ほんまち通り商店街に戻り、猪名川方面に向かうと赤レンガ積みの重厚な建造物が目に飛び込んできた、大正七年に辰野金吾が設計した旧加島銀行池田支店である、店主の計らいで、内部を見せていただいた。当時の金庫室や接客カウンターが当時のまま残っていた。後で、構造が木造モルタル2階建てと聞き驚いた。(2階床に鉄骨補強がなされていた。)

ほんまち通りを北進して、明治十年の火災後再建された吉田酒造(緑一)の主屋、蔵、塀を見学し、1700年代中頃の建築とされる近世商家の原型を残す稲束家住宅を見学して、池田城跡公園に向かう。

綾羽から急な階段を上り、西門から池田城跡公園に到着、櫓台に登り山麓交易都市を一望、模擬大手門を渡り、五月山の緑を配した池田城跡公園を後にする。

11-04山麓を降ると小林一三記念館が見えてきた。能勢町にあった庄屋から移築したと伝えられている長屋門をくぐると、正面に鉄筋コンクリート造2階建ての記念館が喜寿を祝うかの如くどっしりと建っていた。玄関壁面には竜山石を配し、2階壁面は「ハーフティンバー」風に仕上げている。建造物は、竹中工務店の小林利助の設計によるものである。

敷地内には、小林一三が茶の湯を楽しんだ三つの茶室が配されている。「雅俗山荘」竣工時に造られた「即庵(そくあん)」、岡田孝男の指導により昭和39年に造られた「人我亭(にんがてい)」、昭和19年に京都の寺院より移築された「費陰(ひいん)」である。

小林一三記念館を後にし、昔、お堀の跡だという池田中学の水路敷跡を抜け、阪急池田駅に向かう。
休憩も取らず、南ルートに移る。「呉服」と書いて〈ゴフク〉と読むが、池田では〈クレハ〉と読まれる。織姫伝説があり、今から約1700年前に中国の呉の国から織物技術伝承のため渡来した織姫姉妹に由来している。

11-08西進するとすぐに、池田室町住宅地が広がっていた。明治43年に小林一三が手掛けた第1号の宅地分譲地である。生活スタイルの変遷で、和風住宅に洋風スタイルの一間(応接間か勉強部屋なのか)を増築することが流行りになったのか、このような住宅を数か所見受けられた。

開発地の中央に地域の氏神である呉服神社が鎮座している。参道が開発道路と45度になっているのは、何か理由があるのか、伊居田(イケダ)神社との関係が興味深い。

11-06池田室町住宅地の売り出し当時は、1区画平均100坪という面積だったそうである。道路も広く取り、明治の時代の都市整備としては先見の明があると言わざるを得ない。室町住宅地の街区を散策し、13,000歩の万歩計を確認し、街歩きを終える。
当日は、文化の日でもあり、市民の街歩きも盛んに行われていた。(文責:俵 嘉久)

旧○長旅館見学記

阪神地区・藤原義照さんからの報告を紹介します。

西宮七園の一つ甲陽園は、今や閑静な住宅地として知られているが、かつては百貨店・遊園地・動物園・少女歌劇団と劇場・撮影所・温泉浴場・旅館・著名人の別荘等があったのを知る人は今となってはそう多くは無いであろう。それらの観光リゾート施設が無くなって久しいが、厳しい環境にめげず営業を続けてきた「○長旅館」がシェアハウスにリノベーションされるという新聞記事を見た。

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改修前現況外観
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改修後現況外観

長年地域に親しまれてきた建物の外観を残して改修する条件で、若者を対象とした設計コンペが行われ、大学院生の案が選ばれたと言う。自分の息子か孫くらいの年代の若者の考えが身近に触れられる良い機会だと思い見学をさせて貰う事にした。

7月25日(土)の暑い盛りの中、6名の参加があり、甲陽園駅に集合し徒歩で現地へ向かう。

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工事中とは聞いてはいたが、外部足場が解体中で、外観はほぼ見る事が出来て、内部も工事中であったが関係者の方々の好意で自由に見学させて頂いた。各自疑問に思った事を尋ねたり、思った事を述べるなどしたが、関係者の方に快く対応して頂き、楽しい見学会であった。その後は何時ものお決まりで少し喉を潤してからの散会となった。

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講演「歴史的建造物を活かした景観まちづくり」

“古民家再生:愛着のある風景を守る物語”

川西市郷土館(旧平安家住宅)で阪神ヘリテージマネージャー(以下HMと記載)の森畠 吉幸氏の講演がありました。
川西市は、平成16年の景観法の施行により、平成27年3月に「川西市景観計画」を策定しました。平成27年10月の運用開始前に、本計画の基本理念である「生活者としての身近な視点から景観を捉え、良好な景観形成に向けて、市民と事業者と行政による一体的な取組がなされること」の意味を広く伝えることを目的として、市内の北部・中部・南部をリレー形式でつなぐフォーラムの開催があり、上記の表題で、森畠 吉幸氏が北部編の講演を担当されました。

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冒頭に、HMの説明を行い、HM活動の広報をしていただきました。続いて、今話題の新国立競技場を引き合いに出して、景観と建設費の問題を公聴者に投げかけました。
次に、川西市の景観建造物等のプロジェクターによる映写に移り、満願寺、多田神社に始まり、川西市の集落の街歩きと題して、川西市の南部の久代の洋館から北部の黒川の黒川小学校まで、多くの景観を映写いたしました。

印象深かったのは、石道の煙出しのある民家や下財集落のカラミ石の景観、笹部の集落、黒川のエドヒガン桜、炭焼きの煙、平野・東多田・西多田の集落、一の鳥居の寒天製作小屋と民家、小戸の鶴之荘、花屋敷・火打・久代の洋館等川西市を縦断した思いで、川西の景観を一気に街歩きしたような気持ちになりました。やはり景観に重要に関係していたのは、新名神高速道路建設による景観の変化でありました。

続いて、自己の得意とされている古民家再生を猪名川町の古民家を引き合いに、オーナーからの依頼エピソードから解体、完成に至る解説を熱く語られました。(少し時間オーバーになりました。)

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最後に、古い建物でも、手を加えれば快適に居住性能があがり、歴史的景観が守れますとのことで、講演を終了する。

川西市は南北に長く、多くの集落や民家が点在しており、田舎の原風景がいたるところに残り、実に緑豊かな市だと実感いたしました。 緑豊かな景色を上手に景観に取り入れる施策を願うところである。(文責:俵 嘉久)

■参考■
川西市景観計画