淡路島の歴史的建造物 2

永田家住宅

所在地  兵庫県南あわじ市倭文長田

 

由緒・配置

永田家は淡路島南部の南あわじ市倭文(しとおり)長田に所在する旧家で、初代が18世紀初めに移り住んだことにはじまる。この地の有力な地主で、また一時は「染丈」の屋号で染物屋も営んでいた。なお七代目当主秀次郎は貴族院議員や東京市長、拓務大臣、鉄道大臣などを歴任したほか、「青嵐」の俳号で俳人としてもよく知られる。

住宅は三原平野の東北に延びる谷筋、長田川の左岸(南側)に位置する。屋敷は南面に開く長屋門を入ると、その奥に主屋が建つ。主屋の西側には石積みの池に面して離れ座敷、また背面には家具蔵が置かれ、東側には裏庭へと通じる通用門が開き後方に土蔵が南面する。主屋座敷の前方には棟門及び塀が庭を区切り、さらに離れ座敷の北西には高塀が矩折りに延びる。

建築年代は棟札により長屋門は明治37年(1904)、また離れ座敷にも棟札が残り一部判読不能であるものの明治20年代と判明する。大工棟梁はともに江尻村(現南あわじ市松帆江尻)の木村栄太郎であった。また土蔵は大正後期の建築と伝え、このほかは史料を欠くが材の状況や様式から明治中期に屋敷全体が整備されたものと考えられる。

現在、主屋および付属屋8棟と池石積1基が国の登録有形文化財となっている。

主屋(国登録有形文化財)

桁行19.0m、梁間12.0m、2階建、入母屋造、四面庇付、西面便所及び東面物置付属、本瓦葺

明治中期

主屋は桁行9間半、梁間6間の2階建で、中央部7間半×4間を上屋として入母屋造、本瓦葺の屋根をのせ、四周に梁間1間で本瓦葺の下屋をめぐらす。淡路地域で錣屋根と呼ばれる形式であるが、下屋部分を室内に取り込こむ点に新しさがみられる。また上屋の軒をせがい造りとするのも、この地域では明治以降の手法である。

内部は東寄りを広い土間(現在は床が張られて居室となっている)とし、西寄り床上部には2列6室を配する。居室は前列が土間側より広敷(6畳)、仏間(仏壇付、6畳)、座敷(床・棚付、8畳)となり、座敷・仏間の南及び西面には幅半間の畳縁、さらに外側に榑縁を矩折りにまわす。ただ畳縁と榑縁との境は間仕切らず、開放的に仕上げる。また座敷・仏間境の梁行梁を畳縁の柱で支持して室境縁側の柱を取り外し可能とし、部屋を広く利用する工夫がされている。2階は座敷及び仏間の上部以外に、板間10畳、和室12畳及び6畳、納戸などを配する。

この主屋は近世大型農家の伝統を受け継ぎながら近代的な要素が随所にみられ、淡路地域における農家の近代化過程を示すものである。

主屋
離れ座敷(国登録有形文化財)

桁行9.8m、梁間8.0m、平屋建、寄棟造、本瓦葺

明治20年代

離れ座敷は主屋の西側、池に南面して建つ接客用の建物である。桁行5間、梁間4間の平屋建で、屋根は寄棟造の本瓦葺であるが、軒が約1間と深く四周に独立柱を建てて丸桁を支持しており、淡路地域の伝統的な手法がみられる。

建物は8畳2室を東西に並べて南北に畳縁を通し、さらに四周に濡縁をめぐらす。濡縁は正面西寄りの一部が池に張り出し、洋風の手すりを設けてベランダ状とする。また隅柱が池の中に組まれた石柱の上に建ち、池と一体的に計画されたことがわかる。内部は西室を主室として西面に床・棚を備え、東室を次の間とするが、室境の柱はともに取り外し可能としており、部屋を広く利用する工夫がうかがえる。また大きな開口部が南北に設けられ、通風への配慮もされている。明治期の接客施設として興味ある例である。

離れ座敷・池石積  池(手前)に面して離れ座敷が建つ
池石積(国登録有形文化財)

石造、延長32m

明治中期

離れ座敷の南側に位置する池の石積である。池は直線で構成され、矩形平面の南面と西面に張り出しを設ける。規模は東西5.9m、南北9.8mで深さは2.7mを測り、砂岩の切石を隙間なく精巧に積み上げている。石積のなかには瓢箪徳利と杯をかたどった石も嵌め込まれ、遊び心が感じられる。

長屋門(国登録有形文化財)

桁行16.9m、梁間5.9m、2階建、入母屋造、東面・南面及び西面庇付、本瓦葺

明治37年

屋敷地の正面に建つ長屋門は桁行7間、梁間2間の2階建で、背面及び両側面に梁間1間の下屋をまわし、入母屋造本瓦葺の屋根をのせる。中央やや東寄りに1間半の出入口を開いて両開き板戸を建て、東側には物置、さらに下屋を取り込んで納屋を置く。西側は3畳と8畳からなる住居とし、背面及び西面の下屋に土間や風呂・便所等をつくる。2階は東寄り物置の上部を吹き抜けとするほか、西寄りに物置2室を配する。下屋の取り込み居住空間化などに近代的な特色がうかがえる。

長屋門
家具蔵(国登録有形文化財)

桁行7.2m、梁間4.6m、2階建、東面切妻造、西面入母屋造、本瓦葺

明治中期

家具蔵

家具蔵は離れ座敷の後方に建ち、渡り廊下で結ばれる。桁行3間半、梁間2間半の2階建で外壁は塗屋造とし、屋根は東面切妻造西面入母屋造の本瓦葺とする。内部は1階を蔵として家財等を収納し、2階には和室2室を配する。明治期における蔵の利用形態の変化がうかがえる。

 

通用門(国登録有形文化財)

桁行5.3m、梁間1.8m、平屋建、切妻造、本瓦葺

明治中期

通用門

主屋東側の物置に接続して建ち、前庭と裏庭を画している。桁行2間半、梁間1間半の平屋建で屋根は切妻造本瓦葺とする。西寄り1間を門として潜付の両開き板戸を建て、蹴放しの敷石には荷車用の切り欠きを施す。また東寄り1間半は納屋とするが、元は外便所であった。大規模農家の屋敷構えを構成する門である。

 

土蔵(国登録有形文化財)

土蔵造、桁行11m、梁間4.9m、平屋建、東面切妻造、西面入母屋造、南面庇付、本瓦葺

大正後期/昭和50年改修

土蔵

通用門の後方に建つ大型の土蔵で、大正後期の建築と伝える。桁行5間半、梁間2間半の平屋建で屋根は東面切妻造西面入母屋造とし、南面には吹き放ちの下屋を付して本瓦を葺く。屋根形状は東面も元入母屋造であったと推定されるが、昭和50年の東側道路拡幅により切妻造とされた。

内部は2室に分かれて東寄り2間を長持蔵、西寄り3間を米蔵とし、正面にそれぞれ片引き戸、両開き戸を建て、また高窓を正背面に各3箇所開ける。地主の屋敷構えを特徴づける建物である。

 

棟門及び塀(国登録有形文化財)

門 棟門、本瓦葺

明治中期

塀 折れ曲がり延長23m、桟瓦葺

明治中期

棟門及び塀  主屋正面に棟門が建ち、その手前矩折りに塀が延びる

棟門は主屋の正面に建つ一間棟門で、屋根は切妻造本瓦葺とする。角柱を木鼻付の頭貫で繋いで台輪を載せ、柱上及び中央に腕木、中備は皿斗付大斗を置く。扉は両開き板戸を建てる。塀は棟門から折れ曲がりに延びる土塀で、主屋の南西に広がる庭を区切っている。棟門は社寺風の本格的な門で、塀とともに座敷庭の構成している。

 

高塀(国登録有形文化財)

折れ曲がり延長27m、桟瓦葺

明治中期

高塀(背面を見る)

敷地の北西を区切る高塀は、折れ曲がり延長27mで柱を1間ごとに建て、桟瓦葺の屋根をのせる。柱間には雨戸が嵌まるが、夏季には開放して川から風を取り入れることができ、通風に配慮したつくりに特色がある。

 

 

 

 

<参考文献等>

・ひょうごヘリテージ機構H2O淡路「登録候補物件 永田家住宅所見」

・兵庫県教育委員会事務局文化財課『兵庫県の近代和風建築』(平成26年3

月)個別解説「永田家住宅」

・文化庁「国指定文化財等データベース」永田家住宅解説文