まちたび西宮 「甲子園モダニズム」を巡る

2018年2月24日、「まちたび西宮」人気プログラムのひとつ「甲子園モダニズム建築探訪」のガイドを担当した。参加者30名に西宮観光協会2名・楽らく隊2名・武庫川女子大生3名の構成。当日は晴天で暖かく、JR甲子園口の西側にあるマンボウトンネルを潜り、松山大学温山記念館の庭園、武庫川女子大学甲子園会館を徒歩で巡った。

●●マンボウトンネルは、明治7年の官営鉄道敷設時にレンガアーチで造られ、後の複々線化に伴い延長された。盛り土の水路跡を利用した高さ1.3mの通路で、通行には「お先に」と入り口で譲りあいが自然とできている。参加者は、オリンピック金メダル「女子パシュート」の姿勢を実感しながら通り抜けた。

「マンボウ」名について、谷崎潤一郎は、『細雪』で夙川のマンボウをオランダ語と説明しているが、鉱山の坑道の間歩(マブ)やマンホール・マンボから等、諸説ある。

●南に徒歩10分程、松山大学温山記念館(旧新田長次郎邸)(RC 2F B1 延床646㎡ 西宮市都市景観形成物)に到着。実業家新田が木子七郎(娘婿)に設計を依頼して昭和3(1928)年に建てたスパニッシュスタイルの洋館である。(施工 竹中工務店)

今回は、玄関内や庭園見学でき、特に、敷地東端の防空壕には、時代背景と富裕層の隠れた一面に皆さん大変興味を示されていた。

●更に南5分程で、武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)(RC F4 B1 延床6686㎡)に到着。当館は、元帝国ホテル支配人、林愛作が遠藤新(ライトの弟子)に依頼して昭和5(1930)年に完成した客室70の和洋折衷式ホテル(施工 大林組)である。

現在は建築学科やオープンカレッジとして利用されている。歴史概要を説明後、建物内部は大学院生3名がガイドした。「何故 打出の小槌 を主題にしたオーナメントを随所に配したか」の謎ときを話題にしながら屋上に上がり、大阪に繋がる武庫大橋と当旧ホテルの位置関係を確認した。

見学後は食堂にて参加者の皆様と会食、最後に参加者の皆様に御礼と、「阪神間モダニズムについて、遠藤・谷崎・村上等の文豪が、どのように歴史建築を背景に描いているかを味わうと、更に興味が増すのではないでしょうか。」と紹介し暖かい拍手を頂き散会となった。

帰路、JR甲子園駅前の「ライト洋菓子店」(F・L・ライトにゆかり)寄る方が結構おられた。(文責:堀 久樹)

神戸異人館見学記(H2O阪神 H29年度第3回見学会)

今年度、第3回の見学会は、震災後22年が経過し、神戸異人館等の災害復旧に尽力されたHM1期生の山﨑誠氏に「神戸異人館まちあるき」と題して3か所の案内をお願いした。

10月1日(日)9時15分に風見鶏の館前広場に集合、8名の参加を得る。

◆風見鶏の館(旧トーマス住宅)

神戸市の特別許可をいただき小屋裏・地下室の見学を許された。館長の案内で2尺幅余りの階段を上り、小屋裏に着く、天井高が思うほど有り、部屋が作れそうな空間が広がっていた。小屋裏の梁の掛け方を凝視する。塔屋の最上階から神戸の港が見渡せた。小屋裏から外壁の煉瓦の復旧の仕方を覗き込むと、1個1個の煉瓦を夫々に緊結して復元していた。
地下に降り、煉瓦造の基礎構造を見学、以前は池であったところに建設したそうで、沈下対策していたことを聞かされた。引き続き、内部の部屋を見て歩く、南西部の角の部屋がバルコニーで有ったようで外部の壁仕舞いが後付で取り付けた議論に及んだ。各部屋は調度品が整えられて、観光客の目を楽しましていて、活用が上手く行われていた。

 

 

 

 

◆旧ユニオン教会

フロインドリーブ本店として教会がベーカリーカフェに甦っていた。1928年にW.M.ヴォーリズの設計、竹中工務店施工で建設され、ユニオン教会の移転後、バブル等の経済余波に翻弄され、フロインドリーブ夫妻に見いだされた。

教会はトレーサリーで飾られポインテッドアーチ形状の窓を持つゴシック風のデザインで、礼拝堂はハンマービームトラスが特徴だったようで、復旧されたトラスは戦後の架構と聞き及ぶ。外壁は放置状態が長く続いたため蔦がうっそうと蔓延っていたようで、割れ目に入った蔦の吸盤の除去にバーナーを使うご苦労をされたようだ。修理のなかで、異形鉄筋(主筋)の使用が認められたことは、特質すべきことである。昼前ではあったが、サンドイッチとスープをいただいた。

◆居留地旧15番館

明治12年頃、旧居留地の15番地に貸家として建設されアメリカ領事館に一時使用されていた建物で、現在は㈱ノザワの所有になっている。木骨レンガ造、2階建。震災で軸組の姿が見えない程全壊してしまった建物を見事に復旧している。修復には地下室が設けられ、免振装置が取付けられていた。大きな構造補強としては、①煙突を利用してRC造の2本の柱が建物の主軸となった。②屋根裏に鉄骨の梁を井桁に組、煙突柱、2階桁梁に留め付いる。③地下室を作り、免振装置を設けている。耐圧床版と煙突の柱と小屋裏の鉄骨梁とで構造補強を行っている。

地下室の設置で店舗のサービスヤードと復興リトルミュージアム(俗称yamazakiミュージアム)として利用している。店舗でコーヒーを注文、内装の設えと暖炉の状態を見て散会となった。

(2017.10.01 俵 嘉久)

三田まち見学記(H2O阪神H29年度第1回見学会)

今年度第1回の見学会として三田の旧九鬼家住宅とその周辺の歴史的建造物を巡る見学会が開催された。7月30日昼過ぎ、JR三田駅にメンバー8名が集まり、屋敷町にある旧九鬼家住宅(県指定文化財)に向かう。

三田は‘80年代から大規模なニュータウン建設が進められ’90年頃には日本一の人口増加率を記録した街である。今回はそのニュータウンではなく旧三田の骨格を形成した本町通りと三輪神社参道を巡り、沿道に遺る旧家を眺め、メンバーがあれこれ独自の解説を披露しつつ目的地に向かう。


旧九鬼家住宅ではNPO法人歴史文化財ネットワークさんだの廣山さん、有本さんに迎えて頂き、館内を詳しい解説とともに案内頂く。普段は見学できない2階の洋間にも特別に上がらせて頂き、一同感謝。この住宅は代々家老職を勤めた九鬼家の当主九鬼隆範が自ら設計し、文明開化の明治9年頃に建てた擬洋風建築。

1階の伝統的民家とベランダが3方に廻る2階の洋風表現が混在しているところが魅力の建築である。丸柱や漆喰で塗り上げた柱頭飾りやアーチに明治の大工の意気込みが感じられる。 ふるさと学習館の冷房の効いた教室で藤原講師の座学を受け、真夏行事の要である休憩と給水を済ませた後、屋敷町に在る前田家住宅に向かう。

現在この住宅を管理されている、ご親戚の前田さんにお願いをしたところ、快く門を開けて頂き、庭から見学させて頂くことができた。
前田家住宅は大正15年建築のスパニッシュスタイルの住宅で国登録文化財。南面テラスに設けられた三連アーチ窓が印象的な住宅である。設計者は「文化学院」創設者の西村伊作、独学の建築家である。生まれ故郷の和歌山新宮市には自邸が西村記念館として保存され、国重要文化財となっている。

屋敷町の高台から下り、往時のメインストリート本町通りに面する三田ほんまち交流館縁に向かう。“縁”は古民家を12年前に改修・再生した民営の施設である。訪問すると所有者の中西さんに迎えて頂き、快く内部を案内して頂いた。明治の初めに建てられた旧家で、もとは秤屋を営んでおられたとのこと。柱、梁の伝統的骨組みを意匠的に活かし、のびやかで趣豊かな空間が創りだされていた。この再生事業は「人間サイズのまちづくり賞(建築部門)」受賞、「県景観形成重要建造物」指定を受けている。

夕方近くなり三田駅近くのお店に向かい冷えた麦酒を味わいつつ有意義で愉しい意見交換会を催し、散会となる。(文責:藤井成計・2017.07.30)

ヴォーリズ建築セミナー

平成28年11月26日(土)
◆見学会 午前11:00より
1208-1 晴天に恵まれ、関西学院(上ヶ原キャンパス)の見学会を行う。卒業生の野山恭一さんの案内でモデルコースの「力」コースを基本に説明を受けながら回った。やはり正門から目に飛び込んでくるのは甲山と正門とを繫いだ基軸としたキャンパス計画である。キャンパスのシンボルである時計台(旧図書館)を正面に配し中央芝生の周囲に校舎群が配置されていて、緑豊かな山並みを借景に赤い瓦屋根とクリーム色の外壁のスパニッシュ・ミッション・スタイルはえもいわれぬ心地よさを感じる。
内部の見学は許されなかったが、外壁デザインを食い入る様に観察する。コース取りは学院本館(1929年)→ランバス記念礼拝堂(1959年)→ベーツ館(1929年)(外国人住宅1号館)、西宮市計画道路を北進→ハミル館(1918年、1929年移設)原田の森キャンパスから移設された建物でサッシと木製窓が混在していた。木製窓で残されているものは水切りを錻力で加工していて苦労が伺えた。1208-2
ハミル館を西に進み、E号館の北側を通リ時計台(旧図書館)にたどり着く。大学図書館の東側のイチョウ並木の紅葉がクリーム色の校舎に映え美しい。時計台(旧図書館)は大学博物館になっており、内部見学する。玄関ホールは床がモザイクタイル貼、壁が石貼りで天井は漆喰で飾られ、建設当時の面影を忍んだ。
1208-3時計台(旧図書館)内部は当時の設計図書や原田の森キャンパスと上ヶ原キャンパスの模型が展示され学院唯一の登録有形文化財になっている。ヴォーリズ建築のディティールを鑑賞して時計台前にて記念撮影。中央芝生沿いに経済学部校舎(1929年)→中央講堂を通り旌忠碑(せいちゅうひ)に参拝→商学部校舎(1929年)→大学院1号館前に有る原田の森キャンパスから移築された正門を見学した。原田の森キャンパスにある木造のブランチ・メモリアルチャペルは戦災、震災を乗り越えて神戸文学館として活用されている。

1208-4

◆講演会 午後13:30より15:10
会場:西宮市立甲東公民館
第2集会室 参加人数11名
1208-5大手前大学准教授 玉田浩之さんをお迎えして開催。玉田浩之さんはメディア・芸術学部、建築・インテリア専攻に席を置かれ教鞭をとっておられ、専門は近代建築史、モダニズム建築の保存再生の手法について研究されている。本年よりH2O阪神に加入して頂きました。
講演のなかでは、(1)関西学院の建築 と(2)モダニズム建築の保存再生の手法 と題してお話しを伺った。
(1)関西学院の建築
当時、阪神間では交通機関の整備が進んで、宅地、運動・娯楽施設、学校が出来て“明るい健康的なイメージ”が形成され、特に教育施設が阪神間文化圏の形成に貢献したこと。
阪神間の大学キャンパスとしては・甲南高等学校・神戸女学院・神戸女子神学校が創立、移転してきたことの説明があり、関西学院の原田の森から上ヶ原への学校誘致のエピソード、甲東園の開発の経緯を交えお話しいただき、当時果樹園畑にポツンと建っていた芝川又右衛門邸(武田五一設計)が明治村に移築された話を聞く、また、キャンパス計画では、アメリカ合衆国の伝統的形式を継承し、地形的にスタンフォード大学のキャンパスが上ヶ原キャンパスに類似性があるとのことなどキャンパスデザイン、建築デザインについて熱く語られた。ヴォーリズ絡みで岡田山にある神戸女学院のキャンパスの解説も追加して話していただく。
(2)モダニズム建築の保存再生の手法
神戸市塩谷の建造物を対象に近代建築の保存、継承について話していただく。旧グッゲンハイム邸の保存・活用、ジェームズ邸の保存・活用について説明があり、建造物の保存運動が始まってからの保存はことごとく解体の憂き目にあっていることを強調されていた。
保存については、建築基準法第三条1号の適用除外の特例を広く進めて行くことが建造物の保護に繋がって行くことを述べられていた。また、ご自身が京都工芸繊維大学文化遺産教育研究センター特任助教時代に取り組まれた旧鶴巻邸(現:栗原邸)の教育プログラム「建築リソースマネージメントの人材育成」の一環で学生とともに修復作業をされた内容を解説された。(文責:俵 嘉久)

黒川里山あるき

平成27年11月23日(月)、H2O阪神の第4回見学会、「黒川里山あるき」と題して、川西市の北部、妙見山の麓に広がる黒川地区を訪ねた。黒川公民館のこれからを探る見学会でもある。

12-01この日は、「のせでんアートライン妙見の森2015」が開催されており、最終日にあたっていた。この催しは、ソーシャルアートの芸術祭、能勢電鉄沿線地域で開催されており芸術家の方々が思い思いの感性を表現していた。能勢電鉄妙見口駅を出発し、花折街道沿いのソーシャルアートを楽しむ、竹で組んだ能勢電、体育館に寝そべるこけし、川を跨いでいる鉄で制作した連続した植木鉢、藁で作った将棋の駒、案山子が迎えてくれた。

12-02 12-03 12-04

吉川八幡神社に参拝、黒川地区の玄関口妙見の森ケーブル黒川駅にて休憩となる。
細い脇道を降ると水口家住宅の長屋門が見えた。この日は、勤労感謝の日で、真新しい国旗を掲揚されていた。突如の訪問にも係わらず、見学を許された。
12-05水口家は主屋、蔵、井戸屋が登録有形文化財に指定され、文化庁データーベースでは、上流製炭農家の様相を今に伝えていると記してある。妙見山を借景に、茅葺の主屋の佇まいが黒川里山の景観を演出している。ただ、主屋の茅葺の腐朽が激しいのと、蔵の土壁の崩落が認められた。「何とかせねば」との思いを胸に水口家住宅を後にして、江戸時代から生産が盛んであった高級黒炭「一庫炭」、黒川地区の最後の窯元に向かう。

黒川地区では、クヌギを原木とする黒炭造りが行われており、最盛期には30件程が生業としていたそうである。茶道で利用されている高級炭を出荷している。断面が菊の花の様子から「菊炭」と言われ、池田の銘菓にもなっている。 黒川の里山を歩いているとクヌギの伐採跡の形が特徴的(台場クヌギ)で、そこここに見受けられた。
12-06炭焼窯を後にして、黒川沿いを歩いていると、目的地である黒川公民館(旧黒川小学校)に到着。敷地は上下2段に造成され、下段に南校舎、上段に北校舎が南向きで平行に配置しており、渡り廊下で結んでいる。

北校舎は、棟札から明治37年の建築で、設計者は専務監督員の佐渡勝次郎と棟梁の目加田藤次郎である。平屋建て、寄棟造、桟瓦葺の東西棟になっており、南正面中央に入母屋造、桟瓦葺の玄関ポーチを突き出させている。外壁は真壁腰下見板張りで、小屋組は教室部がキングポストトラス、室境が和小屋で、軒は化粧野地で垂木の表しになっている。平面の基準寸法は1間=6尺3寸としている。
南校舎は、昭和22年の建築で、平屋造、切妻造平入、桟瓦葺となっている。外壁は大壁腰板張で小屋組みはキングポストトラスになっている。軒は軒天井を張った洋風建築になっている。平面の基準寸法は1間=6尺としている。
これまでの黒川公民館の経過を辿ると、「平成17・18年度 黒川地区整備構想」では、保存改修し活用していく必要性があると位置付られ、「平成19年度 黒川地区まちづくりコンサルタント派遣業務」では、ワークショップを通じて、黒川公民館の活用に関するアイディアが整理された。平成21年度には、兵庫県景観形成重要建造物として指定され、平成23年度には、文化庁「近代和風建築総合調査」でリストアップされた。この年の8月から黒川公民館の修繕及び改修整備に関する調査が行われ、最終的にA案・・・

北棟、南棟の両方を一体として保全・活用する計画案とB案・・・南棟を解体し、北棟だけを保全・活用する計画案が示され、今日に至っている。
(詳細は「ひょうごヘリテージ年報第10集」と「第11集」に松原永季(HM)さんと稲上文子(HM)さんの調査報告が掲載されています。)

12-07
ピザ窯のある公園内での意見交換会では、北棟、南棟及び渡り廊下を一体として保存・活用して欲しいことを参加者全員で採決して妙見口駅に戻り、解散する。
(文責:俵)