今年も大活躍!/西宮まちたび博たてものガイド(第3弾)

今年も西宮まちたび博のシーズン到来、H2O阪神のメンバーが建築ガイドを引き受け、西宮市内の名建築を案内しています。今回は、平成26年11月16日に実施された「甲子園モダニズム探訪」、ガイドを務められた藤井成計さんからのレポートを紹介します。
1116-1●11月16日、「西宮まちたび博」のプログラムのひとつ「甲子園モダニズム探訪」のガイド役を担当した。今年で3回目の案内となるが何度担当しても大勢の人前で話すのは緊張する。ツアー参加者30名に西宮観光協会のスタッフ2名と学生ボランティア1名の構成。コースはJR甲子園口の西側にあるマンボウトンネルを潜り、松山大学温山記念館、武庫川女子大学甲子園会館を徒歩で巡る人気コースである。今回も7倍の競争率とのことで期待度の高さが伺える。

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1116-2●マンボウトンネルは往時の水路跡を利用した通路で人ひとりがやっと通れるちいさなトンネルである。東西に通るJR線路を南北に潜る通路が少ないこともあり結構大勢の住民が利用している。トンネル内での行き違いは難しいので、端の入り口で通行者の有無を確かめ譲りあうルールが自然とできている。説明後、皆さんに興味深い面持ちで腰をかがめて通って貰った。明治7年の鉄道敷設と同時にレンガアーチで造られたと思われるので最も古いマンボウトンネルではないかと密かに考えている。

1116-310分程歩いて松山大学温山記念館(旧新田邸)に到着。明治の実業家新田長次郎が娘婿の建築家木子七郎に依頼して昭和3(1928)年に建てたスパニッシュスタイルの洋館である。当初、内部見学は不可で庭から外観のみを見学する予定であったが、管理者のご好意により玄関内まで拝見できることになり、参加者一同大喜びで往時のモダニズム空間を味わうことができた。車寄せのある玄関ポーチはテレビドラマでも度々取り上げられたこともあり人気があった。又敷地東端には防空壕があり昭和初期という時代を感じさせるものに興味を示す人が多くいた。

1116-4●予定より遅れ気味で閑静な住宅街を5分ほど歩き武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)に向う。帝国ホテルの支配人であった林愛作がライトの弟子、遠藤新に依頼して昭和5(1930)年に完成させた洋式ホテル。紆余曲折を経て現在は大学学舎として利用されている。門から入って目に飛び込む北側正面は両翼を広げたシンメトリーな堂々たる立面を表し、参加者はカメラを構えて方々に散らばり少々高揚気味の状況。ここからガイドは武庫川女子大学大学院生3名が担うこととなり、当方はお役御免の休憩モードで見学を愉しむこととなる。打出の小槌や滴をモチーフにしたオーナメントを随所に配し、高低差を巧みに取り入れた、流れるような濃密な空間にたっぷりと浸ることができた。見学後は建物内の食堂にてランチを一緒に頂き散会となる。最後に一言を求められツアー参加への御礼と歴史的建築に興味を持って頂きたい旨のお願いをした。

今年も大活躍!/西宮まちたび博たてものガイド(第2弾)

今年も西宮まちたび博のシーズン到来、H2O阪神のメンバーが建築ガイドを引き受け、西宮市内の名建築を案内しています。今回は、平成26年10月26日に実施された「甲子園リゾートを追う!浜甲子園の歴史を訪ねて」、ガイドを務められた中川ちあきさんからのレポートを紹介します。

まず、コースは阪神甲子園駅を出発し甲子園筋を南下、そして浜甲子園住宅地の【濱甲子園倶楽部会館】を経て、甲子園浜から鳴尾球場跡地を通過し、今度は北上。最後は武庫川女子学園付属中・高等学校【芸術館】で解説を聞きながらお茶菓子を頂くという約全長4.6キロの行程です。

まちたび博には毎回大勢の参加申し込みがあるという事ですが、今回もこのコースは発売とほぼ同時に申し込み定員に達したそうで、それだけ人気のプログラムというので案内する私も大変緊張しました。1026-1

当日、待ち合わせ場所にお越しになられた皆様は、老若男女、それこそ若い方から、ご年配の方々まで、また、ご家族連れも何組かいらっしゃいました。

さて、出席の点呼が終わり、いよいよ出発です!(写真①)

1026-2まず向かったのは【旧枝川橋梁橋脚】。阪神甲子園駅は元々『枝川』という河川の上にかかっていた橋の上に作られていたという事で、その痕跡をご案内。残念ながら現在甲子園駅は改良工事中ですが、工事用シートに遮られて見えない橋脚部分に本来なら<枝川橋梁>の文字が確認出来ます。その事と、駅の開業と甲子園球場の関係、また甲子園駅を起点として甲子園筋を走っていたチンチン電車の【阪神甲子園線】の旧駅舎をご紹介。ご年配の方は「うんうん、知ってる」と頷かれ、逆に若い方は「えっ!嘘。ここを路面電車が走ってたの?」と目を白黒させておられました。(写真②)
甲子園駅を横目に見ながら南へ下がります。途中甲子園球場の横を通過。
折しも、当日はプロ野球日本シリーズの第1戦が行われた翌日。ここで野球の話題に触れない訳にはいきません。まずは『甲子園』の名前の由来になった十干十二支の話や、建設に至る経緯、また最近の改修にまつわる話などをご紹介。まぁ地元の方なら当然ご存知の事ばかり?ですが、参加者の中には関東からお越しの方もいらっしゃると伺ってましたので・・・(すごい!ツワモノ~!ですね)

1026-3そして道幅の広い歩道を南進しつつ、かつてあった甲子園筋にまつわるリゾート施設の数々を説明。飛び込みプールもあったという水上競技場、いくつもの庭球場、世界記録も出た?甲子園南運動場、競馬場、ゴルフ場等々。また、ららぽーと甲子園に姿を変えた旧阪神甲子園パーク(第2期)のお話等々。途中黒と黄色の『タイガースローソン』を横目に見ながら、いよいよ【浜甲子園住宅地】の入り口へ。ここでちょっと立ち止まり、この住宅地の建設の由来をご説明(写真③)

1026-4その後、住宅地の中を歩きながら【濱甲子園倶楽部】へ。昭和初期に建てられたモダンな洋風住宅です。ここは当初開発を手掛けた大林組が現地販売事務所として使用していた建物を住民に永久貸与、その後市に寄贈された跡、地元町会に払い下げられ、今はコミニュティの皆さんの手で自主運営、維持管理されています。当日は偶然にもご説明をして下さった泉会長様の誕生日という事で、まちたび博参加者の方々と共にお祝いのメッセージをお贈りしました。(写真④)

1026-5倶楽部会館を後にした後は海岸を目指します。昔は海水浴場があり、地元の皆さんの熱意で埋め立てられずに自然の砂浜が残った甲子園浜。今は渡り鳥の飛来地として有名ですが、そのすぐ横に元祖?阪神パーク(第1期)があったとは私もこのコースを担当するまで知りませんでした。大潮の時だけ出没する阪神パーク跡のライオンの噴水口なんて、結構都市伝説ぽくって面白いですね。歩いた後の潮風がとても心地良かったです。(写真⑤)

1026-6それからまたまた駆け足で【鳴尾球場跡】へ。甲子園球場が建設されるまでは高校野球はここで開催されていたんです。跡地にはバッテリーのブロンズ像の記念碑が佇んでいます。また、戦前は飛行場の滑走路もあったという事です。野球に飛行機・・・色々なドラマがありますね。(写真⑥)

そして一体全部で何棟あるんでしょうか?巨大なUR浜甲子園団地の横を北上しつつ、団地今昔物語を語りながら、最後の目的地【武庫川女子大学付属中学・高等学校=通称「芸術館」】へ向かいます。
「芸術館」は元はこの地にあった鳴尾競馬場のスタンドの一部。1等館と呼ばれ、特別な方しか入れない建物だったそうです。戦時中は軍の管制塔、戦後は進駐軍に接収されるなど、数奇な運命をたどりますが、現在は教育施設の一部として、非常に有効に活用されています。当日は全国大会に出場されるという武庫川女子学園放送部の生徒さんが、番組制作の為に参加者の皆さんにインタビューをされていました。うーん、なんて良い教育環境なんでしょう。羨ましいです。1026-7
建物内部を見学の後は、事務長の吉村様よりご準備頂いた資料を元に説明を受けながら、地元西宮銘菓と共に頂く美味しい紅茶でティータイム。(写真⑦)

とにかく駆け足で良く歩いた一日でしたので、皆さんようやくホッとされた様子。でも次々に質問が出て、やはりここでも参加者の皆様の熱意を感じました。
とにかく、建物好き、街並み好き、歴史好きの本当に熱心な皆さんが多く、地元の方からは逆に貴重なレア情報を教えて頂いたりと、私自身非常に勉強になりました。ご参加頂いた皆様、スタッフの皆様、本当にありがとうございました!

尼崎・寺町「本興寺」&「長遠寺」見学会

11月3日に尼崎市内で行われた見学会の報告が地区世話人の藤原義照さんより寄せられたので紹介します。
今回も神戸地区から3名の参加がありました。前回(10月25日)の阪急塚口エリアの見学会から日をおかずに「寺町にて国指定文化財・県指定文化財の違いを読み解く!」と題して催したのには、本興寺の一般公開で見学できるのが11月3日の文化の日だけに限られており、その上、阪神尼崎駅から西へほんの500mほどの比較的狭い寺町エリアで国指定と県指定の両方の建物を見比べて観察するのにはもってこいの処だと考えたからである。ヘリテージマネージャーも12期を数え、受講した内容も忘れた者もいるかもしれないと思ったのと、復習と再確認の意味も込められればと思い企画した次第である。

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本興寺にある文化財建造物として、国指定の開山堂(写真右)、三光堂、方丈、県指定の鐘楼がある。訪れたときは、記念法要が営まれ、信者の方々が多数参拝されており、団体で行動するのも憚られ、各自バラバラに拝観する事になり、各自の見識による相違点の議論がその場で出来ず、二言三言言葉を交わす程度であった。しかし、普段は公開されていない宝物殿では殆んど貸切り状態で各種の宝物の内 戦国武将らの書状に話題が集まった様であった。

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その後、途中の寺にチョコチョコと道草をしながら長遠寺(ぢょうおんじ)へ。この寺の文化財建造物としては、国指定の本堂、多宝塔(写真右)、県指定の鐘楼、客殿、庫裏がある。内部を観る事が出来ないため、外部のみの見学を各自、自由に観て廻った。

1103-5見学後、長遠寺で今回の見学のタイトルである国指定と県指定の違いについての意見交換では、見た目だけで判別できるのではなく、国が指定するか、しないかで処遇がまったく違う結果になるという事を確認し、登録に携わっていく事が我々ヘリテージの役割ではないかとの締め括りとなった。最後に記念写真を撮って散会となった。(天気が良過ぎて皆の顔が真っ白ケになって写ってしまいました。)

塚口御坊と塚口近代住宅見学会

10月25日に行われた阪神地区の見学会、地区世話人の藤原義照さんからの報告です。

今年度は、尼崎地域に重点を絞って見学会を実施してきました。4月には、新規地区メンバー歓迎会を兼ねたJR塚口駅エリアを皮切りに、7月には、阪神大物駅エリアをまわりました。3回目を迎えた今回は、神戸地区のヘリテージ仲間2名の参加も得て、阪急塚口駅エリアをまわりました。中でも神戸地区の原田さんは小さい頃 この阪急塚口エリアに住んでいたと聞き今更ながら人と地域の繋がりを再認識する様(サマ)であった。

1025-01 さて、阪急塚口駅北出口を東へ400m程行くと、伊丹川という小さな水路に東接したこんもりとした土盛りと階段の上に、二本の神木と小さな祠が見える。その左手前にある説明板がなければ 此処が「塚口城」の東門と土塁の跡とは分からず、「祠が祀られているなァ」としか思わず通り過ぎてしまいそうである。

 

当時、都に近いこの様な処は何時戦場になるか判らず、住民の苦難が偲ばれる様であり、また、その前は三叉路になっており 小さいながらも道標も埋まっており、歴史ファンには興味をそそられそうな処である。

次は此処から少し西へ2番目の見学地「矢野邸」へと歩く、ここは道路に接する敷地いっぱいに長屋門を構え、起り屋根でツシ2階建て虫籠窓を持つ大きな母屋があり、庭塀の奥には枯山水の庭が広がる大きな屋敷である。大正前期の建築と言われ「尼崎市都市美形成建築物」に指定されている。

道路を挟んだ向かいの敷地には当家の家業の菰樽を作る建物が建っている。菰樽作りは今では全国に3軒しか存在していない(当主の話)という珍しい仕事も見られ、思いがけない見学ができた。

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1025-05 3番目は最初に見学した「塚口城」の中核であった塚口御坊跡の「正玄寺」へと歩く。本堂外観の拝観はできるが内部の拝観や住職の話は聞けなかったのが残念であった。本堂前の説明板には当時の歴史的経緯が記されてはいるが、一見時代が有りそうに見える当本堂についての記述が何処かにあればもっと良かったと思われた。

1025-06 4番目は最後の見学となる「坂野(ばんの)邸」へ、道路からの見学であるが 1926(大正15)年の建物が良くぞここまで残ったと所有者に敬意を払いたいが、所々に損傷が見られ個人所有の建物の維持管理の難しさを見た思いであった。

これで今日の見学会も終り、食事へと向かう途中、両脇に所々松が植えられた道路を歩く。野山さんの話では旧街道であったとの事である。塚口町の住宅地を散策、塚口3丁目北交叉点に差し掛かり、目を引く洋風住宅が目に入る。住宅地として開発された当時のものか、一見の価値ありと思いシャッターを切った。

1025-07  そして、懇親食事会に向かい、きょうは、お開きとなったのであった。

今年も大活躍!/西宮まちたび博たてものガイド

今年も西宮まちたび博のシーズン到来、H2O阪神のメンバーが建築ガイドを引き受け、西宮市内の名建築を案内しています。今回は、平成26年10月11日に実施された「閑静な文教の街 夙川モダニズム建築探訪」、ガイドを務められた長尾光仁さんからのレポートを紹介します。

台風19号の影響も受けずまずまずの日和中,参加者30名がA・B2班に分かれ、私はB班の担当で10時過ぎに阪急夙川駅をスタート、いきなり小旗を持っての先頭誘導を促され、間髪を入れずにガイドをとの指示には若干戸惑いました。

1011-1夙川カトリック教会では、先ず教会の正門で協会の方から説明が有り、引き続き聖堂→カリオンと見学、A班がカリオンの見学の間、交代を待つ間にゴシックとネオゴシックの年代及び様式の違いについて説明。
カリオンを見学の後、外部に誘導し景観建築物等の指定と登録文化財の登録との選考基準の違いについて説明しながら建物外周を一巡、建物を少し離れて見る事により、より建物の特徴や立地の雰囲気を感じる事が出来る旨を説明し、建物の良さを味わって頂きました。

正門へ戻り、浦太郎邸へ向かおうとしましたが、担当の観光協会の方やA班も見当たらず、置いてきぼりを食らったかなと思いつつ夙川公園へ引率、こほろぎ橋を渡る道順を取り、簡単に夙川公園界隈について説明しながら浦邸へ向かう、小旗を掲げマイクのオン・オフを気にしつつ、隊列の確認や道路横断の誘導をしながらのガイドには一汗。
1011-2浦太郎邸に到着、事前の挨拶は済まされているものと思い、ピロティーにて説明を始めていると、浦太郎氏の三女の方が外出より戻られ、「何をされていらしゃるのか」との問い掛けが有り、又戸惑いつつも見学の経緯を説明申し上げ、図々しくも玄関内の見学をお願いすると快く応じて下さり、浦太郎氏ご夫妻までもが挨拶と案内にいらっしゃり室内を見学させて頂き、一同思いがけない対応に大変感激、ピロティーの噴水まで作動して頂きました。
1011-3山本清記念会館は外観を眺めながらモダニズム建築の概要や母屋・茶室等の特徴、見所を説明し、邸内見学は各自で自由に回って頂きました。やがて浦邸の見学を済ませたA班と合流、参加者のアンケート記入が終わるのを待ち、観光協会の方の閉会の挨拶となり、我々にも挨拶を促され又もや戸惑いながらも簡単な挨拶を以って散会となりました。
参加の皆さんが私の不慣れで下手なガイドにも関わらず終始和やかに行動を共にしていただき、最後は笑顔でお帰りになられた事が何よりの救いでした。